ホンダMVXの名義変更に行く |
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2010年 04月 14日
ホンダMVXの名義変更に行ってきた。以前カタナの名義変更に行ったことがあるので同じ所に行ったのだが、受付で「あっ250ね。これはここじゃないよ。」と地図を見せられた。少し北の方にある「全国軽自動車協会連合会」に行ってくださいとのこと。車検のあるものと無いものとは管轄が違うことを初めて知る。「全国軽自動車協会連合会」では車検の検査も行っていて、たくさんの車が順番待ちしていた。パトカーも停まっていて、なるほど、パトカーも車検かと変に感心する。事務所に入って一番手前0番窓口の若い女性の方に、前の持ち主に書いてもらった「委任状」「譲渡証明書」「軽自動車届出済証」「自賠責証明書」「バイクに付いていたナンバープレート」と、私が朝、公民館で貰ってきた「印鑑証明」「住民票」を渡すと、「ナンバープレートは8番の受付に出してください。「印鑑証明」か「住民票」どちらか1枚でいいです。250は委任状と譲渡証明書はいらないので、こちらにある「軽・届出証」と「軽届出済証返納届」を買って(120円)いただいて、前の持ち主の印を押して貰ってください。」といわれた。前の持ち主は今仕事中で印を貰えないことを告げると、「では委任状でやってみます。」と、親切に言ってくれた。「軽・届出証」と「軽届出済証返納届」ともう一枚の書類、計3枚の書類をいただき、書き込んで、8番の窓口でナンバープレート渡すと、10番窓口に書類を提出するように言われる。書類を10番窓口のすこし怖い年輩の女性に渡すと「前の持ち主の印が無いですよ。」と追及された。
続く #
by domonjin
| 2010-04-14 09:41
| ぼくのMVX
2010年 02月 02日
田代家は、天正8年(1580年)徳川家康の遠州経略に協力したことにより、御朱印を与えられた名家である。家業は筏(いかだ)問屋だが、実際にはこの近辺の天竜川の権利を有していたらしい。明治時代から始まる日本の産業革命にはかかせない王子製紙や久根鉱山の石炭も天竜川を利用していたことを考えると相当栄えたと思う。現在の母屋は幕末から明治初期に建てられた物で、取り壊される予定だったのだが、地元の人たちの要望で残すことになった。日曜にはボランティアのおばちゃんが案内してくれる。入館料はもちろん無料。地元の苦いお茶を振る舞ってくれた。
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by domonjin
| 2010-02-02 19:30
| わが町文化財
2010年 01月 14日
わが町内では年に一回ぽんはぜおじさんが来る。ぽんはぜとは、ポン菓子とも言われ、終戦直後あまった大砲にお米を入れて爆発させて作っていたという話が残っている。「おらぁフーテンの寅さんだ」というそのおじさんは、浜松には「ぽんはぜ」作るのはおらだけだで、貴重だで、と言っていた。最初に一人お客さんが来ればどんどんお客さんが来るが、なかなか最初のお客さんが来ないと言う。ぽんはぜを作ってもらいに来たおばさんが、「店頭で作ったのを並べてみたらどうよ」というと「ばかこけぇ、そんなことしたら露天商になっちまって怖いお兄さんがくるだぁ」。どうやら店頭で物を販売するのは、みかじめ料やら何やらを払わなければいけないらしい。勝手にやってきて、そそくさとぽんはぜを作り、さっさと帰るのがこの商売の鉄則らしい。何年か前にNHKに出演したらしく、リハーサルでマカロニでぱんはぜを作り、スタジオの子供達の前で、股間にそれを持って行き、「ほらチ○チ○だと遊んでいて、厳重注意をされたらしい。おじさんはそれでも飽きたらず、司会の久保純子に「だんなさんとはどうけ?夫婦であったまる方法しっとるけ。○▲□×……………といったセクハラ行為をし続けクボジュンに嫌がられたらしい。地元のSBSテレビに出演したときのビデオを見せてもらうと、マカロニのぽんはぜは、なんとなくあれに似ている。こんどいつ来るのか聞くと「1年後だぁ」。
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by domonjin
| 2010-01-14 17:26
| トリップ人物伝
2010年 01月 02日
常光取水場ポンプ室は昭和6年から昭和48年まで、大原浄水場が完成するまで、天竜川の伏流水を浜松の中心部に送る施設だった。私が子供の頃から既に廃墟化していたが、最近立ち入り禁止の柵が作られたので、もしかすると取り壊されるかもしれないと思い写真を撮りに行った。子供の頃から廃墟が好きな私はよくここに忍び込んでいた。おかげで学校の図書館で借りた本をここで紛失するという事件を起こした。まぁ、図書カードを偽造して事なきを得たのだが。余談だがここから少し天竜川の上流に行くと、昔ホテルだか旅館だかの施設があり、小さな遊園地があったのだが、やはり今はない。常光取水場ポンプ室はゴシック建築とアールデコを混ぜたような佇まいを見せていて、ステンドグラスまで付いている。昔の公共事業の力の入りようには感心する。当時の水道事業の要にもなっていたのだろう。立ち入り禁止の柵はあるが、実は畑からは簡単に入れるので、その点はのんきな物である。べつに邪魔になるわけではないのでこのまま残していて欲しいものだ。
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by domonjin
| 2010-01-02 15:42
| 浜松市常光取水場ポンプ室
2009年 12月 19日
光明電気鉄道は昭和5年から11年までのわずか6年の短命に終わった。磐田市中泉から天竜市二俣を走っていた。計画としては天竜川東岸を通り飯田線に接続連絡し、遠州と信州を結ぶ中部縦断鉄道という遠大な計画だった。廃線からすでに70年も経っているが現在でも路線の一部を天竜浜名湖鉄道が受け継ぎ、一部その名残が、浜松市天竜区二俣町に残っている。小学生の時に光明電鉄を利用していたという、二俣町栄林寺前住職の弟さんに光明電鉄跡を案内していただいた。当時、電車がホームに着く途中で飛び降りていたという、今では考えられないのんびりした電車だったらしい。私が「この電車は佐久間まで行く予定だったんでしょうね。」とあやふやな知識で尋ねると、「とんでもない。長野県を経て日本縦断の大鉄道の予定だったんだ。」と当時子供心にも郷土の誇りとしての鉄道という意識がはっきりと伝わった。「今の天浜線よりも赤字だったんだから廃線もしかたがない。」と話していた。
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by domonjin
| 2009-12-19 17:53
| 消えた鉄路を行く
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