光明山遺跡…光明寺・光明城 |
光明寺跡には、山頂にある観光のお約束の望遠鏡があった。しかも無料。覗いてみる。山しか見えない。ここにも別のアベックが楽しそうにしていたので、居づらくなって光明城の方へ向かう。途中三方原の合戦の時に逃げた家康が疲れて座ったと言われる石があった。余談だが以前別の山で家康が隠れた岩という物を見たことがある。青崩れ峠の方には信玄腰掛け岩とか言うのもあった。光明城跡には徳川の旗頭、本多作次郎、石川善内、澁谷三右門、菅沼源太郎、山本庄介、天正3年6月10日戦死と書かれている看板があった。二俣城攻防戦のときに戦死した5人の塚である。このまま下れば駐車場に続く道路があるだろうと思って降りたのが、駐車場がない。実は山の頂上にいたので駐車場とは反対の道に降りてしまったらしい。延々と歩く。運動不足の上、のども渇いてきて、このまま死んでしまうのかなぁと思ったとき、延命水という湧水があった。まさに延命である。あぁ、なんて自然は素晴らしいのだろう。